人間関係=自発的な「交通整理」論

「生きづらさ」の問題の多くは、
コミュニケーションの充足、不足によって語られるような問題であって、
「生きづらい」人は、それだけその当人に合ったコミュニケーション形式のようなものやそれにもとづく人間関係作りが必須。
前回まで、「コミュニケーション、生きづらさに関する思考まとめ」
と題して、述べてきた文章の主旨はこういう所にあった。
「じょうだんじゃねーよ。それができたら苦労ないよ!」
って声が聞こえて来そうである。
はい。まったくその通り。冗談じゃないです。
そもそもコミュニケーション下手の自分が、深いコミュニケーションなんてはかれる場は、世の中のどこですか?
そう言われたら、まったくもっともな疑問である。
もちろんこれについて「例外的」な答えは書くことができるが、あつらえ向きな答えなど残酷ながら用意することができる問題ではない。
このことに、嘆いてみてもはじまらない。
これが、世の中の現実である。

「この世の中は、生きづらい」という気持ちばかり強まり、だから(私のようにw)精神科を受診しても、
「不安障害」だと診断されるだけ...。特に大きく、根治的な支援が受けられるわけでなく...。
これと似たり寄ったりの経験をさせられた人は、たくさんいるのがこの世の中の実態ではなかろうか?
(わざと、現状の精神医療をこき下ろすことは、論旨ではないのだが...。)
「みんなそういう限界ある中でがんばってる!」
だとかいう説教もあるが、
この世の中で頑張り抜いて、そのへんが結果につながる人は、
それだけ能力、魅力、環境、機会に恵まれた人だ。
それらに「恵まれてない人」は、上記の「似たり寄ったりの経験させられた人」として、出てきてしまうのではなかろうか?

結論から言って、
その「恵まれてない」人は、その「恵まれてない」ことを下手に包み隠さずに世の中とかかわる他ない。
コミュニケーションをできるようになろうと、必死でもがくことで、手をさしのべようとしてくる心の優しい人間が誰なのかわかってくる。そういう人間だけを自分の周囲に残せばよい。
...じつは、自分でも書いていて、何でこんなあっけらかんとしたきれいごとが書けるのかよくわからない(笑)。
書いたような考えで毎日生きられるなら、
それは「不安障害」などとは対極的な状態であろう。
なかなか書いたような考えで毎日を送るの難しいのだが、難しいならば、
これって、自分の頭の中での、人間関係の「交通整理」だと考えたら分かりやすくないだろうか?
ここからは、その「交通整理」のしかたについて述べて行きたい。
言いたいのは、小難しいことではなく、ただ単にこういうことである。

① 自分自身の「できない」「苦手」「困っている」などを表現したとき、共感性を持ってくれるような人は、こちら側へ。
② 共感性とまではいかなくても、「できない」「苦手」「困っている」などの表現をしたとき、その困りごとについて対策を考えてようとしてくれるような人は、こちら側へ。<こちら側、待機。>
③ 「できない」「苦手」「困っている」などの表現をしたとき、真正面から否定的な意見を述べてくるような無神経・無感覚な人は、あちら側へ。
④ 否定的な意見は出てこないまでも、こちらの困りごとに関しての解決につながらない論理で話して来るような相手も、ひとまずはあちら側へ。<あちら側、待機。>

こういう整理をした考え方を、日々自発的にしていく他ないのではないか?
人間関係は、自発的な交通整理であるとは、ここを言いたいのである。
もちろん、ここに記した4種類。「こちら側」「あちら側」「こちら側、待機。」「あちら側、待機。」は決して固定的なものではなく、変動、流動はありえる。
これを変なふうに固定化して考えたはじめた時、人格障害であると言われるであろう。
しかし問題は、「困りごと」を表現するなんてややオブラートな表現をここでは選んだが、自分自身がふつうの世の中より「恵まれていない」などという思考を前提とした表現が、それこそ「人格障害」的でなくて済むものであろうか?
角度を変えれば、そんな前提で、困りごとを相談した際、共感性を持って受け入れてくれる他人とはどんな人をいうのであろうか?
そう。そんな人がどこかにいるかのように考えてしまっていることが、
根の深い幻想である。

幻想である。と、ここまで自分の述べてきたことを結局全批判する形になってしまった。
何でこんなあっけらかんとしたきれいごとが書けたのかよくわからない(笑)。ともう一度リピートしてもよい(笑)。

まとめれば、自分自身がふつうの世の中より「恵まれていない」などという思考を前提として、一般社会の人間に「困りごと」を表現なんかしようものなら、人格障害者的にならざるを得ない。
言いかえれば、上記の①や②の人間が出現してくることなんか期待できなくて当然なのではないか?
この事実から来る困難もさらにまた受け入れる必要が発生するであろう。つまり出口の無い思考なのだ。

こんな出口の無い思考に囚われるほど無意味なことはない。
人間関係は、自発的な交通整理と考え、整理方法を頭に入れておくとすっきり考えられるとは思うが、
①や②の人間がいつまでも出現してこない場合は、早めに、
何かが大きく間違っている。ずれている。(それこそあなたの「能力」「魅力」などがそこにふさわしくない。あるいは「環境」や「機会」がふさわしい状態にない。)と考えるべきというのが、ぜひ「交通整理」方法の⑤番目に置きたいことである。