コミュニケーション、生きづらさに関する思考まとめ①

  • 生きづらさ

コミュニケーションの問題は、人生の選択肢全般にかかわるもの。

「生きづらい」と感じているならば、

コミュニケーションにおける欠陥によるといって過言でない。

コミュニケーションは本来的に経験されるものであって、語られるものでない。

 コミュニケーションが下手だとか思う人は、思ったことを疑問にして投げかけて行く力をつけていくべき。人と齟齬がおきるのではないか?という疑念を減らしていくべき。

これについては後述する。 

  • 「普通」と生きづらさ

「普通」というのは何か?

多数派の論理である。

能力、魅力、環境、機会に恵まれている人間が、中心となり誘導しているもの。

その人たちに有利なルールの総体である。

「普通」と親和性の高い人間というのは存在する。それは、能力、魅力、環境、機会に恵まれていた人であって、コミュニケーションなどの問題においてその人のやりかたはあまり参考にならないということが真実。

能力、魅力、環境、機会に「恵まれなかった」つまり「普通」と遠いところにいるような人は「生きづらい」と感じるもの。

  • 生きづらさと自己流

「生きづらい」と感じる人は、自己流を深めて行けば良いのようなもの言いもあるが、「自己流」やその人らしさなんていうものは、「普通」をクリアした上でなければ、まず世の中に容認されないもの。

その人らしく生きるなんていうことは、決してきれいごとではなく、まず「普通」をクリアした上で世の中に容認されるように、自分をプレゼンして行けといった、非常な努力を要求されるもの。

 

問題は「容認されない…。」なんていう概念より上位に「自己への信頼」を置けるかどうかにある。

 

繰り返しになるが、「その人らしく」、「その人らしさ」などというものは、気持ちがいいから、有利だからで選択すればいいという問題ではない。

ではどうしたらよいのか?

 

――――――続く