僕が看護師をこころざした理由。

まあ、タイトル内容にそのまま答えてみましょう。

志した動機は、
「この自分が、優秀な看護師に成長することこそが、世の中から求められていることだ!」
みたいな、まあ数年前、間違えた概念に捕らわれた結果だと思ってます。(笑)
それなのに、
向いてもいない仕事で、苦しんでるなんて
自業自得じゃね。
むしろ、やってることは、棒給の不正受給だ。
生保とかの不正受給者みたいに、
世の中に一方的な不平不満を言うなんて、
ムシがよすぎるし、みっともない。

確かに、こう言われれば正論でしょうね。

だけど、
そういう批判をするそこの貴方に聞きたい。
例えば、ここにもし、「間違えた概念」に捕らわれた数年前の筆者のような人間が現れたとき、どういった対応をしていますか?
結局、そんな人はキモチワルいから、普通の世間からは排除していくって所が、大多数の答えではないでしょうか?
なんかさ、
そういう、「キモチワルい」人間に対して、
相手に分かるような言葉で、そんな間違えた概念よりもう少し質のいい、
知識とか知恵とかを伝えて行くこともできないなんていうのは、
それこそ大人として「みっともない」。
こんな考えを
これからの時代の当たり前にしていけたら
もうすこし、いい世の中になって行けるんじゃないですかね?

じゃあ例題。 
時事ネタだけどw
アイドルのイベントで発煙筒燃やすような馬鹿に、何をどう説明したらいい?w
うーん、なかなか前途多難な問題ですね。ww

このブログについて。 ~知識とか知恵、そしてほんの少しの寛容さと~

このブログは、

べつに、禁煙がどうの、猫がどうのといったブログにするつもりではないんですよ。(笑)

まあ、ちゃっかりと猫のことはこれからも書きますけどね。それは大好きですからね。(笑)

 

まじめに、、

このブログ活動通じて世の中に伝えたい一番のことは、

正しい知識とか知恵とか、ほんの少しの寛容さが大切だねとかそういうことなんです。

 

それはたとえば、 

認知症と言う状態にある人たちや周りの人たちを支える専門職の皆さんが、国民に向かって胸を張って『私たちがいるからだいじょうぶ』と言えるようになれればと思います」(『だいじょうぶ認知症和田行男,朝日新書,2014)

世の中に散見されるこういった意見に強く共感して、その共感の実践としての表現活動に取り組んで行きたいなっていうことなんです。

 

私は看護師として臨床を経験する上で当然、

認知症はもちろん、さまざまな精神障害や、身体的にも社会的にもさまざまな背景をもつ人々に出くわしてきました。

患者さんご本人はもちろんのこと、ご家族などの「周りの人たち」も含めてさまざまな人々です。

そして「支える専門職」である我々も、その特性、属性はさまざまです。

対患者さん、

対スタッフ、

どの場面においても、一番大事なのは、正しい知識とか知恵、つまりは相手のことを正しく知り、お互いが円滑に過ごしていく方法を見つけ出す。

その【方法】をほんの少しの寛容なる心で、面倒がらずにおこなう。

その繰り返しなんです。

そういうことの繰り返しの中で、お互いうまくやってくための知見を蓄えて、たとえ色々な背景を持った人がいて、簡単ではない難しい世の中であったとしても、

「だいじょうぶ」

と胸を張って言えるようになって行くとか、ふつうに素敵なことじゃありませんか?

人間の抱く【理想】として、だいぶ価値の高いことじゃありませんか?

 

こんなふうに書くと、私がすごくコミュ力が高い人間か何かのように思われるかもしれませんが、おおよそそれほどの誤解はありません。w

 

これからとてもレベルの低い話をします。w

看護師として病棟に勤めていたある日の話です。

ひとりの患者さんから「わたし明日、検査なんだよね?」と話の流れの中で言われ、

つい、私は「そうですね」と返答してしまいました。

「つい」などと言ったのは他でもありません。多忙な業務の中、私も色々頭がごっちゃになっていて、本来「明後日」であるはずのその患者さんの検査日を「明日」と間違えて認識していたのです。私とその患者さんと2人で「勘違い」をおこしている状況でした。

ただの「勘違いだったね」で丸く収まればまだよかったのですが、

私が、それは「勘違い」だった!と事実を認識できたのは、その患者さんが「明日、検査だから来てくれる?」とご家族に電話をしてしまったその後だったのです。

しかも悪いことに、私がこの勘違いに気がつく前に、どういう経緯だったか、電話をしてしまうまでの一連の流れを私の先輩看護師が先に知ってしまっていたのです。

どうやら、その先輩看護師が、「え?検査、明日じゃありませんよね?」

などと言ったとたんその患者さんは

「なんだよ!もう明日だってうちに電話しちまったじゃねぇかよ!」

と怒り出し、

「あいつ(私のこと)のせいだ!あいつが明日検査って言いやがった!」

という主張をはじめたというわけです。

この状況に対してですね、その先輩看護師、こともあろうに私をその患者さんの前に呼び出して、怒り心頭のその患者さんの目の前で、

「明日検査だなんて(間違ったこと)伝えたの?」なんてふうに、私に詰問を始めたんです…。

みなさんがもしこの患者さんの側だったらどうですか?

こうやって一人の「犯人探し」みたいなことして、「犯人」に謝罪させたら満足ですか?

このクエスチョンには、それこそ人によって答えはさまざまでしょう。

尤も、まさかこんなことにたいする答え探しが目的でこれを書いているわけではありません。

着目していただきたい点はそこではなく、この「先輩看護師」の対応についてなのです。

こういう場面で、同胞として庇ってもらえることはおろか、「いい機会だから、こいつには痛い目見せてやらないと、こういうウッカリとかは治らんな」とでも言いたげな対応・措置を取られてしまっていることです。

無論のこと、そういう判断をされてしまう私の側にも責任の一端はあるわけですが、

今回は、それをだからどうすればよかったといった話ではなく、着目していただきたい点はこれです。

私たち医療スタッフの間でもこんなふうに【信頼関係】が醸成されていない場での仕事というのは、本当にこんな誰の為にもならないゴタゴタが日常茶飯事なレベルなんです…。

ほんの少し、その実情の一部分でも見ていただきたかったのです。

こんなふうに日常業務からして、実際は残念な実情の中からw

毎日汗まみれになって、色々感じて、解決策らしきものを考え抜いてきた成果を発表していく場にして行くブログにしていけたらいいなと思ってます。

 

こんな駄目そうな奴の意見でよかったらこれからも読んでやってください。w

駄目な奴、、だけれど禁煙は続いてます。ww

 

 

 

「発達障害」に対する一意見

発達障害の人と働くのはたやすいことではない。
周りの人が、接し方を工夫するとか色々あるが、皆自分の仕事で精一杯なのにどうやってやるの。
仕事はスピードと成果を求められるものであり、賃金は成果の対価。
そのしくみに合わない人にむけられる目は当然厳しくて当然。
発達障害とわかって雇用するのは良いが、自分はできればその人と組まされたりチームメイトにはなりたくないのが本音。

あのさ、
何年経ってもさ、
こんなふうな、「それで?」って言いたくなるようなご高説(笑)がネットに散見される現状どうにかならないもんかね。
ネット上にさ、
こんな歪んだ自己肯定、自己弁護並べてないで、
みんなで、これだけの多様性抱えた世の中、
どうやって住みやすくしていこうか在り方を考えて行くうごきは、
どこからも起こって来ないものなのかね?

自己紹介が、まだだったという話。→→ナース男子です!

↑うーん。まずこれ、このタイトルね…。

自分のこと「ナース男子」だとか、こういうバカっぽい表現はもうしません!(笑)初回限定仕様ってことで(笑)

 

はい。性別は男、歳は現在30代で、職業は看護師です。

勤続8年になろうとしています。このブログでは主に、この7年ちょっとの間に見聞きしてきたこと、感じてきたことなんかを少しずつ発信してみたいと思います。

 

みなさん、大河ドラマの「おんな城主・直虎」はご覧になったことあるでしょうか?

戦国のマッチョな男社会の真ん中で、井伊家の当主として立っている柴崎コウさん扮する主人公・直虎の姿って、見ていて何とも言えない不自然さ、滑稽さみたいなものを感じません?私は感じますね。

つまり何が言いたいかって、(おもしろおかしく言えば)まさにあの世界観を、舞台を現代にして、性別逆にしたバージョンなんですよね。男性看護師の世界って(笑)。

いやー、戦国の猛者みたいな女性もわんさかいる環境は免れないですよ(笑)。この世界7年ちょっとも居たらもううんざりですよ(笑)。

このブログ、読み方によっては『まだ看護師で消耗してるの?』ってわけですよ!(笑)基本、この職業について悪いことばっかり言います。

でもですね…誤解がないように言わせてもらえば、

海堂尊さんが『ナイチンゲールの沈黙』で描いてくれたような「看護師の鑑(かがみ)」っていわれる立派な看護師も中にはいるんですよね。知ってますよ!

少なからず、自分の脳裏に残っているそういう立派な看護師の姿は、なるべくそのまま伝えるブログにもしていきたいなと思ってます。

でも、

作品のネタバレはしないでおきますが、

「立派な看護師」とかって、

フィクションの中でも現実でも、

ハッピーエンドとはなりにくいですよね(笑)

何だか、その辺の現実感も伝えられるブログにしていきたい所存です。

ブログに対する、

忌憚のないご意見・ご感想大歓迎です。

禁煙記事その④2016年9月~現在。禁煙成功まで。

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2016年9月。

ニコチネルパッチによる禁煙治療を開始してから約3カ月。

晴れて、たばこを一本も吸うことなく、禁煙外来受診最終日を迎えることができた。

最終受診日。

「では、これからも禁煙続けていきましょう」

そんなこと以外、禁煙外来医師と何を話したかなんて覚えていない。まあ、そんなもんだ。(笑)

 

9月は雨の多い時期。この日も雨だった記憶がある。

帰り道、野良猫たちが並んで雨宿りをしている場面に遭遇したのを覚えている。

冒頭の画像は、その時のものだったと思う。(笑)

画像が不明瞭で申し訳ないが、雨に当たらない位置に、並んで固まっている様子がおわかりいただけるだろうか。なかなか傑作のショットである。すばらしい。(笑)

話はまたどうでもいい方向にそれるが、私は無類の猫好きなのだ。(笑)

休みの日ふらっと散歩して、野良猫、地域猫探しはとても楽しい娯楽だ。

(当時、ペット不可のマンションに住んでいて、自分ちでは飼育できなかった…)

 

そして心なしか、

いつの頃からか、そのへんの猫が近寄ってきくれる頻度も高くなったような感がある。これはたばこの臭いがしなくなったせいもあるのではないか?

そういえば、ネットでは嫌煙派の意見として、喫煙者の臭いがクサくてしようがないといった意見をよく見かける。

動物だって、同じようなことを感じてるんじゃないのか…。

前回、たばこ依存症は精神疾患であって、理性的な言い聞かせなんかはあまり効果が感じられないという意味のことを述べたが、

私の場合は、このへんのいきさつからガラッと意識の持ち方が変わってきたのは事実だ。

こんな考え、ばかにする人もいるのはわかってはいるが、動物にはこうやって様々なセラピー効果があったりするものなのだ。

更に、今から述べるような考え、ばかにする人はしてくださっても別にかまわないが、

禁煙治療も時々話題に上る「マインドフルネス」「瞑想法」などの応用が効果的なのだ。

その内容について詳述することは、本稿の趣旨ではない。ご興味ある方は「マインドフルネス」や「瞑想法」といった文字列で検索をしていただきたい。

あくまで私の場合、入って行ったいきさつはこんな感じだ。

2016年秋、その当時は、中野区に住んでいた。

趣味の散歩で、新井薬師梅照院付近を歩いていた。(梅照院境内にも三毛の猫が時々現れることを知っていたw)

あそこは、日中行くとお香がとてもいい匂いだ。

参拝をしてみる。

賽銭箱近くに、「真言」と呼ばれる呪文が掲示されている。

『おんころころせんだりまとおぎそわか(薬師如来)』

『おんばらだはんどめいうん(如意輪観音)』

何度か、心の中で唱えているうちに、この呪文は自然と頭に入ってきた。

休日に行くと、周囲をろうそくのフェイクで飾られてる綺麗なご本尊を見ることができる。

何度か、ここへは通った。そして確信した。

ここは自分の嗅覚、聴覚、視覚へ、少し非日常な信号を送ることによって、心を空っぽにできる場所だ。

こういう体験をしておくだけでぜんぜん違う。「心を空っぽに」するメソッドを心得てしまうだけでだいぶ楽になる。日常の中でも、時間が空いた時は瞑目して梅照院を参拝している時の心持ち、五感への刺激のありようを思い出せばいいのだ。

そこに心を止めればいいのだ。

これは、以前読んだことがある「瞑想」関係の本に書いてあった内容を応用したものだ。

 

なにも、新井薬師だけを皆さんにすすめることが主旨では決してない。

もうすこし「オカルト」的な話をして良ければ(こういう話、引かない方だけ読み進めてくださいね…)、「繭気属性(けんきぞくせい)」というものがあるのだ。

私は、「火」の属性(偶然なことに私の妻も!)なので、火属性を持つ「新井薬師」がとても相性がよかったのだろうか。

ちなみに、埼玉の川越八幡宮も代表的な「火属性」なのだ。

その以前、私は埼玉に住んでいた。

同じ「火属性」を持つ私と私の妻は、恋人時代、川越八幡宮近くの川越の街を散歩しながら心の距離を近くしていった。なんていうエピソードも、あったりなかったりするものだ。ww

まあ、ご興味ある方は、「繭気属性(けんきぞくせい)」で調べてみられるといい。

「心を空っぽに」。その方法は各人各様だと思う。自分自身に合った「パワースポット」を発見することで、心を空っぽにするメソッドは得やすくなるに違いない。

 

私は、それこそ「火属性」であるせいか、頭の中が暇になってしまうとすっかり気が抜ける。

そんなとき、脳内に喫煙の刺激なんていうケシカランものを思い出してしまう結果になる。

頭の中を暇にしててはいけないのだ。常に何かに対して燃焼させているぐらいがちょうどいいのだ。

だからこそ、(今さら)ブログなんか開設して、自分の考えを発信してみるなんて道を選んだ。

…禁煙の話から、話はこんなところにつながった(笑)。

 

何はともあれ、

たばこを吸わなくなってから一年が経過し、現在都内某所でこれを書いている。

 

今でも時々、たばこを勧められて一本吸う夢を見てしまったりするのだ。

しかも、勧めてくる人物がなかなか魅力的な人物像だったりする。

…うーーん。これ、なかなか厄介な精神病である。

それでも日常、数ヶ月前まではあれほど手放せなかったミンティアも、いつからかべつに「服用」しないでもいられるようになってきている。

確実に、一歩一歩、たばこの強い刺激は、脳から離れつつあるのだ。

毎日ブラックコーヒーを飲む習慣は、未だにやめられない。が、「まずまず健康でびっこにもならずにその日その日を暮している」。

「欲を言っても際限がないから生涯無名の猫で終るつもりだ」

…なぜに!?いきなり漱石の『猫』からの引用なのかよくわからない(笑)。それは、なんとなく雰囲気だ(笑)。

まったく、まとまりない文章で恐縮だが、ここから禁煙成功のコツらしきものを見出すなら次のようになる。っていうことで、このグダグダまとまりのない稿をいいかげん閉じたいと思う。

 

・ネットでの「嫌煙派」の意見気にして読んでおくことで、ふと意識の持ち方が変わるタイミングがある。

・「マインドフルネス」「瞑想法」などの応用は非常に効果的。

・吸わなくなってから1年経過してもときどき喫煙の刺激は思いだしてしまう。こんなもんだと思って気長に闘っていくしかない。そのうちに吸いたい気持ちはもっと減弱していくはず。

 

                     ーー了ーー

禁煙記事その③2016年7月~9月

2016年7月。

禁煙外来を受診し、ニコチネルパッチ貼付治療を開始して、2カ月が過ぎた。

あいかわらず、ご飯の直後とか、休日の午前中にだらっとしているときとか、

たまらなくたばこの煙を吸い込みたくなる欲求に負けそうになる時がある。

もう、常に歯磨きを持参するとか、食事の後は氷を(夏期だったこともあり)口に含んで刺激を与えるようにするとか、前もって強い衝動には対処しておくしかない。

食事の後、朝方など、衝動が強くなるタイミングは大体把握できているのだから。

 

定期的に(ニコチネルパッチの処方切れ日に)禁煙外来の医師とカウンセリングあるのだが、これは正直ほとんど意味をなさない。

周囲の人に禁煙を宣言する。なんていうコツもよく言われることだが、これも意味をなしているかどうかは怪しい。

たばこ依存症は、けっこう精神の奥深くまで入り込んだ精神疾患なのだ。

改めて、禁煙の効能がどうの聞かされても、

たとえ他人にどのように見られようと、

心の中で根本的な情動は変わらないのだ。

今まで一度も喫煙習慣を持ったことのない方は、こういう言葉を読んで是非、たばこ依存症患者になってしまうようなことを思いとどまってほしいとは思う。

 

2016年8月。

3ヶ月もたってくれば、日常のイライラする出来事も累積してくる。

仕事でうまくいかないとか、

家で妻にガミガミ言われるとか(笑)

なんだか、たばこぐらい我慢せず吸ってもいいじゃねぇかよ。と思ってしまう時がある。

「できない」「駄目な」「弱っちい」自分自身との向き合い方の問題なのだ。ということが、浮き彫りになってよく気がつく。

たばこの煙という毒物で脳の働きを麻痺させ、都合わるい思考を止める。なんていう対処法以外の方法で対処しなければならない、窮地に立たされるのだ。

8月の暑い日、クーラーがよく効いた書店に立ち寄る。上記のように追い詰められた私はついビジネス書や自己啓発系の本に手を伸ばしてしまう。w

なんでもいいから読んでいるうちに、「活字を読む」「文字に集中する」ってなことが、割と(自分のばあい)たばこ吸いたいイライラを押さえこむ鍵になることに気がついてくる。

何か読み応えある本でも欲しくなる。

ビジネス書や自己啓発系の本みたいな、よく考えれば先刻承知なことばかり書いてあるような本ではなくw(そういう系の書籍の著者、出版関係のみなさま、申し訳ございません)。

 

8月の終戦記念日が近づいてくると、毎年、太平洋戦争関係の書籍が書店の棚を賑わす。

1冊手に取る。うん、うん。戦史ものはやっぱり納得の読み応えだ。(笑)

ひと月の間3~4冊は読んでしまう成り行きになった。それはたとえ、共働きの妻に「このごろ家事サボってんじゃないよ!」と怒られる結果になったとしてもだ。(笑)

勇猛果断に、読書に時間を使うことを選んだ。(笑)

しかし、どの本を読んでも、ミッドウェー海戦の大敗以降は目を覆いたくなるな…。

英霊に「ありがとう」と言えるような社会でなければおかしいといったような意見には、個人的にだいぶ賛成だ。(この意見はまじめに言いたい。)

 

まあ、そんな話はここでは置いておくとして。(これ何のための導入だったんだ・笑)

 

時は9月になり、ニコチネルパッチ貼付治療も終了時期を迎えようとする。

5月31日から、なんとかここまで一本もたばこを吸わずに来ることができた。

パッチ薬の副作用たる、皮膚のかぶれ、かゆみの範囲もだいぶ範囲を広げている。

この皮膚の苦痛からはもうすぐ解放だ。

さて、ここまで続いた「禁煙治療」の効果はいかに?

果たして、禁煙は続けられるものなのか? 

 

                   ーー続くーー

禁煙記事その② 2016年6月

前回のおさらい、

15年来の喫煙者で一日10本以上も吸っていた私が、

2016年5月31日(世界禁煙デー)に、禁煙外来へ行ってみた。

なんとなく、ニコチネルパッチ治療を選んでみたら、

けっこう効果は劇的だった。

たばこ、ライターを放棄し、ベランダ喫煙所を片付け、禁煙をする決意が固まった。

これが前回までです。

 

どうしても、口の中のもの寂しさは残ります。

口腔内に刺激が足りな過ぎる感覚なのです。

いやはや、1年経った今でもまだその感覚は残ってます!

6月、

ミンティアCOLDSMASHとかで(そのレベルの刺激性の物でないとだめです!)、口を紛わせる方法を選びました。

安価に仕入れるために、おかしのまちおかの常連になっていきました(笑)。

禁煙はじめると、たばこ自体の煙はもちろん

たばこ連想させるすべてのものがツラいんです・・・。

数日間は、コーヒーもだめでした。よく、たばこと一緒に缶コーヒーを飲んでいたからです・・・。

幸いなことに、

以前はあまりブラックコーヒーを飲む習慣がなかったため、ブラックコーヒーの刺激は逆に良く作用することに気がつきました。

一か月ぐらいは、

たばこ連想させてしまうもの遠ざける。

たばこの代わりに、口をいい感じに刺激してくれるものを探す・・・。

時々ツラくて泣きそうな気持ちになりながら、この思考錯誤を繰り返す日々でした。

               ーーー続くーーー